8.04.2015

Saying goodbye to an old friend (Part.1)


 ミック・ロンソンのレスポールのお話、その続きです(前回分はこちらを参照願います)。
 以下の文章は、アメリカのGUITAR HANGARというギターショップのオーナーであり、同時にプロ・ギタリストでもあるリック・テデスコ氏によるものです。本人の許可を正式に得て、当ブログにて日本語訳を掲載させていただくことになりました。前述したように、氏はあのミック・ロンソンが実際に使用した68年製GIBSONレスポール・カスタムを長らく所持した人です。
 で、結末を先に書いてしまいますが、彼は長年愛着を持って保持したそのギターを、つい先日手放すことになりました。その顛末記です。彼の友人でもあり親しく交流もあるイアン・ハンタースージー・ロンソン(ミック・ロンソンの未亡人)を交えて、このギターに関するエピソードを丸々まとめたものとなっています。



古 き 友 に サ ヨ ナ ラ を
by Rick Tedesco (Guitar Hangar)


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 2000年の春のとある日。イアン・ハンターを伴ってドライヴ中だった私は、道中彼とミック・ロンソンに関しての話題——それまでもイアンと顔をあわせる度に幾度となくしてきた話題だが——にまたも花を咲かせた。イアンは彼の自宅にミック・ロンソンが使用したギターを今も何本か保管してある、という。ミック・ロンソンが私にとってどれだけ重要な存在だったか、いつか彼が持っていたギターを自分で所持できないだろうか、という願いを私は口にした。もちろん「ロンソンがボウイと一緒に演っていた時に使ってた、あの塗装を剥いだレスポール・カスタムが見つからないかなあ・・・」とも。イアンは言う「今アレがどこにあるのかって? 神のみぞ知るだね。多分ミックはその辺の道を歩いてるどこぞの輩にでもあげちゃったんじゃないか。彼はそういうのを気にしない人だから。ミックにとって(ギターは)ただの道具、だったからね」。

 その日以来、あのレスポール・カスタムを探し出すという旅に出た。もちろん最終的には、ミック・ロンソンの最も象徴的なアイコンともなった1968年製GIBSONレスポール・カスタム——あのジギー・ギターのこと——を、自分で手に入れるために。

 まず、色々なウェブサイトやネット掲示板に「現在の所在地の情報を求む」という形でカキコミをし始めた。幾度かのやりとりを経て、ジャスティン・ピュアリントンという人物と知り合うことができた。彼はモット・ザ・フープルに関するファンジン『JUST A BUZZ』を主宰している人物で、そのファンジンにはもちろんミック・ロンソンに関する記事も掲載されていた。ジャスティンはイアン・ハンターのアルバム『RANT』(2001年発表)に際して、私にインタビューをしたいと言ってきた人物だ——イアン・ハンターのアルバムに、私はギターで参加していた。
 そして私達の会話は例のミックのギターに関しても及んだ。私があのギターを探してると知ると、彼は「ミックがどこかの記事で、あのギターをオーストラリアにあるハードロック・カフェに寄贈したと語っていた」と教えてくれた。

 キタっ! 掴むべき手綱を遂に見つけた! もちろんその手綱を引っ張ることにした。

 ニューヨークにあるハードロック・カフェの本社オフィスに電話してみた。何度も何度も電話し、その度に「メモラビリア(記念品)担当」の人物は変わり、何度もスルーされるという経験にあった。くだんの物件に関して正しい担当者にやっとたどり着き、彼と直接コンタクトを取れたのは、最初に電話をしてから数週間も経た頃だった。しかし彼は「ミック・ロンソン関連とクレジットされたメモラビリアに関して、一切記録は残っていない」と言う。それでも彼は、80年代の初期にメモラビリアの担当をしていたという人物(名前は失念したが)との連絡先を教えてくれた。ミックのギターがハードロック・カフェに寄贈されたというのが噂通り80年代前半のことであれば、彼が直接そのやりとりの担当をしていたに違いない、と。
 電話番号を得て、私はその人物を探し出すことに奔走した。1週間程は受話器にかじりつく期間を過ごしただろうか。やっと回線が繋がり、実際に本人と話すことができた。彼が言うには、ミックが使用したアイテムに関しては何も(ハードロック・カフェとしては)集めてはいないし、今現物も記録も何も残っていない、とのこと。それを聞いてかなり落胆した私。もしかしたら今そのギターはすでに、誰かの家のクローゼットの中にでも仕舞い込まれているのだろうか、と考え出すようになった。そしてその人物を引き当てる手がかりなどは何もない。チクショー。どうしても知りたい!

 それ知るために、必要以上のガンコ者と化してみた。その噂が本当なのかどうか、2重に確認するために、またしてもハードロック・カフェの現在のメモラビリア担当の人物に電話してみた。もしかしたらそのメモラビリアの名目は(ミック・ロンソン名義ではなく)「デヴィッド・ボウイ関連」とか「マイケル・ロンソン関連」なんてクレジットがされているかもしれない。担当者は辛抱強く寄贈品のデータベースを調べ回ってくれた。しかし何もヒットはしない。そこで私は「ミック・ロンソンがオーストラリアのハードロック・カフェに寄贈した、と自分で語っているインタビュー記事があるんだ。どう思う?」と言ってみた。すると彼が言う。
「えっ? オーストラリア? だってオーストラリアの店舗は名義をライセンスしてるだけの、ただのフランチャイズ店ですよ。あそこに何があるかなんて、ウチ(本社)ではわかりませんし、データベースにも記載されることはありません。じゃあお店の電話番号教えますね。シドニー店と、メルボルン店と・・・」。

 クソったれ! 希望が戻ってきた!

 オーストラリアとの時差のために、電話するには真夜中まで待つ必要がある。明朝はフロリダに出かける用事があるから、朝の4時にはここを出ないといけない。家を出たら18時間のドライヴをしなければならない。しかし、そんなことは関係ない。その晩の夜中、電話した。

 11時59分。ジリリリリン。
「ハイ、ハードロック・カフェでーす」
「やあ、僕の名前はリック・テデスコ。実は今あるギターを探しまわっていて、オタクの寄贈品の中にそれがあるんじゃないかと思ってるんですよ。そちらのお店に、ミック・ロンソンに関するものはある?」
「ええ、ありますよ。今丁度そのギターの真横で電話してます。もう12年くらいここの壁にブラ下がってますねえ」
「FUUUUUUUUUUUUUUUUUUCK! それってレスポール?」
「そうだよ」
「くぁswでrftgyふじこlpkiol!!!!!! えっと、ボディーのトップが木目のナチュラルで・・・」
「そうそう」
「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」

 なんとか落ち着きを取り戻す必要があった。なんとかしてこのギターを自分の手にするために、あらゆる策を講じる必要がある。最終的には、自分が持っているギター等を何本か同店に寄贈することで、そのギターを譲ってもらうという話に落ち着いた。私が提供したものは、ジーン・シモンズのサイン入りベース2本、イアン・ハンターが所持・使用したPRS、(ブルー・オイスター・カルトの)ジョー・バウチャードが使ったストラト、eBAYとかで集めたデヴィッド・ボウイのゴールド・レコード、イアン・ハンターのサイン入り写真&CD・・・・。

 しかしまず最初に、そのオーストラリアにあるギターが本物であるかどうかを確認する必要がある。というわけで何枚かの写真をメールで送ってもらった。それらの写真を私はスージー・ロンソンに転送し、彼女が持っている大量のミックの写真(実際にミックがそのギターを演奏している時のもの)と見比べてもらって、詳細を比較してもらうことにした。彼女が持っている写真を私にも転送してもらい、自分でも比較してみた。ご承知のようにギターの塗装は剥がされており、まるで警察が指紋の符合を調べるかように、トップの木目が同じかどうかを丹念に比較した。結果、疑いの余地はなく、同一の木目だと確認できた。それは「あの」ギターだった。

 話を先へと進めるべく、同店に寄贈する数多くのギターその他をすべてデカい箱に押し込んで、オーストラリアへと発送した。「その時」が来るまでのカウントダウンが始まった。1週間経ち、ハードロック・カフェに電話して「荷物は届いたかい?」と聞いてみた。しかし「いや、まだだよ」との返事。次の週に再び電話してみたが返事は同じ。その次の週も同じ。おかしい。ジーザス! ハードロック・カフェのあんちゃんと私は、住所が間違っていないか確認してみた。すると私はとんでもないミステイクを犯していたことに気付いた。全然違う住所へと荷物を発送していたのだ! トラッキング(追跡)情報を得てみると、その宛先不明の荷物はUPSの倉庫で長い間も放置されているようだ。そこで正しい住所への再配達をお願いし、なんとかそのデカい荷物は正しい受取人の住所に配送される運びとなった。直後に、ミックのギターはパッキングされ私のもとへ発送されることとなった。これはまだ(西暦)2000年のお話。現在のように「トラッキング・ナンバーを使ってネットで荷物を追跡する」ことが、それほどメジャーではなかった時代の話だ。(つづく)

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